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事業内容

第6回講演会原田泰氏(2006.12.07)講演内容

日 時:平成18年12月7日(木)
テーマ:戦争回避のリスクマネージメント
    =利得・イデオロギー・組織の観点から=
講 師:原田 泰氏
    (大和総研チーフエコノミスト)

公演概要:
1)始めに
私の仕事は日々日本経済が上がるか下がるかの予測をしているが、本日はもう少し雄大な観点から話をしたい。
  戦争=リスクという事になるが、何故日本は戦争をしたのかについて考察したい。
この問題を、利得・イデオロギー・組織の3つの観点から分析をしてみたい。マルク  
スの階級論とか一部の悪人が起こした結果だとかいろいろな分析がある。それらが間
違っているとは思わない。それとは別に、社会に参加している個々人の気持ち、組織
の中の個人、イデオロギーの中の個人の利得という観点から、上記の「利得・
イデオロギー・組織」を中心に分析したいと思う。

2)利得と戦争
戦争の原因を分析する場合、政治学者の議論はカントから始まる。「市民が戦争に責任を負うという政府が出来れば戦争にはならない。」というのがカントの理論の原点。つまり「民主主義政府になれば、戦争は起こりにくい。」というところから出発する。
  一方「ネオコン」といわれる人達は、民主主義を世界に広める事を主張している。こ
の考え方もカントに依拠している。「独裁者は戦争を起こしやすい。民主主義政府で
あれば、戦争で自分が死ぬか税金を課せられるかという選択を迫られるので、戦争は
  起こり難い。」という理論になっている。何故か日本ではネオコンに対する評判が悪い。
  ネオコンは共産主義革命を唱えたトロツキズムと逆の発想で世界民主主義革命を起こ
  すというもの。(北朝鮮も民主国家であれば、核・拉致問題等も起こらないだろう。) 

カントの理論はもっともだが、反論もある。カントの時代は元首が適当に考えて、  遊び的に戦争を起こすことが出来たが、現代はそうはならない。第一次大戦の例でも

  分かる様に、ロマノフ朝の皇帝一家は革命で殺される等、君主も犠牲になる。昔の戦争は君主が自分で養っている兵隊を使い戦争を起こした。つまり一般国民が戦争をする訳ではなく、君主のリスクで戦争を行った。その後ナポレオンの時代に徴兵制が導入されたが、これは民を巻き込む戦争になり、カントの言うように、君主の気楽な戦争ではない。 
別の考え方として、民主主義国家だから好戦的という見方もある。古くはギリシャのアテネとスパルタが引き合いに出される。アテネは民主国家であり、スパルタは王を中心とした貴族社会であったが、当時はアテネの方が好戦的であった。
  ヨーロッパでも最も民主主義的な英・仏も戦争によって植民地を拡大したし、第二次大戦前の日本では、1930年代末から軍人が権力を握っており、自由のない社会に見えるが、それ以前は言論の自由があった。総理大臣の誹謗中傷等も自由に行われ、アジアの中ではもっとも民主的な国家だった。民主主義国家でありながら、日清・日露等から分かるように、戦争に熱心だった。

スチィーブン・レビットという経済学者著の「やばい経済学」という本の中に、麻薬の売人は下端の平民でその上は貴族になっている。麻薬の縄張抗争が起こると、抗争中の売人のところには客は来なくなるので、上層部の貴族が困ることになる。従い、好戦的なのは人民であり、貴族は戦争をしたがらないという論理を展開している。

ギリシャの例を見ても、アテネ、スパルタを比較するとアテネの民衆政治の方が好戦的に思われる。上層部の「持てる人」は戦争をしたがらない。一方「持っていない人」は戦争をしたがる、この点がカントの理論とは異なる。

日本は中国と戦争し最後は米国とも戦う結果となったが、満州と朝鮮は「10万の英霊
と20億円」を使って得たものと盛んに言っていた。(当時の20億円はGDPの約1/6であり、今の価値にすれば80兆円以上に相当する。)

人間は利得があれば好戦的になるものだが、日本にとって満州は利得があったのか?

満州産石炭の質は悪く、石油もない。また米が取れない土地なので大豆が主産品。国民も貧しく徴税も難しい。メリットとしてはアヘンの密売であったが、これは違法行為であるから、その利益は機密費に入り、国民全てが利得を得た訳ではなかった。(賄賂という形で使用されていた。) 

また第二次大戦前の日本は人口過多であったため、中国なりインドなりへの進出論が
かなりあったが、1937年頃から戦争の為人手不足の状態になった。国内で職はいくらでもあったので、わざわざ満州の様な地に行きたがらなかった。当時は「満州開拓民」という言い方をされていたが、実態は中国人・朝鮮人が開拓した土地を安く買い取ろうとしただけで、「開拓」ではなかった。その結果現地での反発が強く、反乱状態になり大きな問題となった。妥協案として相場で買い取るという策を取った。(資金はアヘンの売却代金か、日本人の税金ということになる)。また満州へ派遣する場合も、役人を破格の待遇で何とか納得させて派遣していたという状況だった。(この派遣の人件費の原資も国内の税金かアヘンの密売代金なのだから、当時の日本は実に無駄な事をやっていた。)

民主主義が好戦性なのは戦争の利益が大きいときだけだが、満州にはその利得がなかった。満蒙国境でのソ連との戦闘、ノモンハン事件は利得の価値をさらに低める結果となった。当時、日本はぼろ負けと思ったが、後に、戦死者は、ほぼ「1対1」の結果となっているので、日本は負けていないという右派の人もいる。しかし、ノモンハンの戦闘はソ連にとっては意味があったが、日本にとって意味がない。ソ連にとっては、ドイツと戦わなければならないときに、背後を突くなと警告する意味があった。不毛のシベリヤを攻め上ってモスクワまで行くのはばかげていると、日本の軍国主義者でも思っただろう。

第二次大戦中のスローガンに「欲しがりません、勝つまでは!」とあるが、これは逆に言えば勝ったら欲しがっても良いという意味。しかし、ノモンハンには欲するものは何もなかった。
中国への軍事侵攻は、中国側の団結という結果にならなければ日本にとって利得があったが、結果的には「反日」で団結したため、日本の利得は大きく減った。(日本の野望が中国統一という結果を招いた。)

ナショナリズムは外敵が来るから生まれる。中国のナショナリズムは日本が原因というのは既に述べた通り。昔のギリシャもオリンピック開催時以外は常に戦争状態であったが、ペルシャという外敵が攻めて来た結果、同一民族としてのナショナリズムが高揚した。日本の中国侵攻は、戦争は利得の為という事を忘れた行動である。しかし、国民にとっては利得がなくても、軍人にとっては利得があった。

日清戦争は台湾を割譲して賠償金を得たので、これは利得が大きかった。一方日露戦争は五分五分の状態で終戦を迎えたので、日本にとって利得は残らなかった。その後の第一次世界大戦及び1931年の満州事変も利得をもたらした。第二次大戦前までは、戦争は「3勝1敗」で利益があるという認識が一般的。

第一次大戦は自ら戦わず、他人の戦争で利得を得た。当時の日本には産業も発展し、貿易も拡大傾向にあったので戦争はしない方が得策との考え方もあった。日本の戦争をしないで次の二つのことをすれば良かった。
① 武器商人になる。
② 満州の利権を米国と分け合う。(ただし、大して利権がない。)
  ビジネス界も上記の選択肢に同調していたが、軍人には戦争をしないかぎり利得はない。①の選択はなく、また②についてもない。

3)資本主義への不信を高めるイデオロギーの重要性
第一次大戦は日本の資本家・労働者共に利得を得た。熟練工等に対する需要は高く、賃金水準も上昇した。軍は資本家と民衆を切り離す事を画策し始めた。高橋亀吉ですら資本主義への不信を高めるイデオロギーを提供した。資本主義ではない社会の構築が必要との理論が出て来た。しかし、この時期には新しい産業も勃興し、経済は決してまずくはいっていなかった。(第二次大戦後財閥解体が行われた。戦争をしたのは軍であって財閥ではないので不当な裁定だと思うが、これも資本家に対する嫉妬心からと思われる。)
世の中がうまく回っている時代は、大衆は旧来のエリートを信頼する。歯車が狂いだすと、エリートに対する批判が出てくる。1930年、当時の蔵相であった井上準之助による金解禁・金本位制復帰政策で日本は大恐慌に陥り、翌31年には満州事変が勃発して活気が戻ったがこれが大衆に誤解を与えた。満州事変が好況をもたらしたという誤解である。満州事変は日本国民の税金を単に満州で使っただけであり、カネの使い場所を間違っただけである。
井上蔵相というエリートの失敗により資本主義への不信が強まり、「一君万民思想」が強まって行った。天皇と民と中間に介在する一切のものを排除し、絶対の天皇と平等な万民という世界を作ろうとする動きになってきた。
同時期のエリートである近衛文麿も日本を誤らせた根源の一人である。近衛は藤原鎌足の子孫であるが、第一次大戦後に、「英米本位の平和主義を排す」という議論を展開した。それは、先に略奪した者がその結果を望ましい秩序とする考え方を批判し、「富を持っていない者は略奪をやり直す権利がある。」という議論である。また「劣等文明は植民地にして良い地域」とし、中国も劣等文明に位置づけた。これでは中国が怒るのは当然だ。近衛はコンプレックスの強い生い立ちから「富は略奪」の思想に惹かれたのだろう。(へんなコンプレックスのある人間が権力を握るととんでもないことになるという良い例である。)

第二次大戦後の1945年12月に「近衛上奏文」という天皇に上奏した文書の中で
「自分たちの戦争は共産主義者に騙されて引き起こしたもの」と説明しているが、「富は略奪であり、正当な権利はない。」と言ったのは近衛自身であり、近衛本人こそが世界革命的共産主義者。
「富は略奪」という論理が正しければ当時の中国が採った革命外交も正しいということになる。当時の自由主義ジャーナリスト、清沢洌は、中国が帝国主義的利権の回収を求めることには同情的であるが、利権回収のためには如何なる手段も許されるという外交姿勢には批判的である。「中国の土地の上に建設されたものは大部分が外国人の努力によるもので、これを無償で取り上げてしまうという論理には無理がある」と指摘している。
近衛文麿という人物が、アジアを共産主義化した張本人であるのは事実だ。1937年首相になると同時に「北支事変」を「支那事変」と呼称を勝手に変更、40年には国家総動員法を樹立させ国家社会主義化を開始して、大東亜共栄圏構想を発表した。翌41年に南部仏印進駐を実行し、東條英機に首相をバトンタッチした。東條自身ここまで来てしまった以上引き下がれない状況におかれたという面はある。
ともかくも権力の奪取に成功した日本軍は、絶対の天皇の意思を独占的に知る軍部となり、人民の意志を知る制度である議会を無力化し、「軍部の独占する」天皇の意志に異議を唱える者に対する弾圧を実施した。
資本主義を守る事は難しい。資本主義では富は正当化されているが、富を創造するよりも略奪によって富を得る方が容易な場合も多い。この方法が横行すると社会はとてつもない災厄に見舞われる。

結論的に言うと、井上の失敗と近衛の「英米本位の平和主義を排する」という二つの思想が日本を戦争に向かわせる道の始まりといえる。

4) 軍隊という組織の性質
満州事変の立役者である石原莞爾も、実は戦線拡大には反対だった。1936年に満州を訪問した石原は、関東軍に対して、内蒙古工作は中央本部の意図に反すると説得したが、関東軍幹部は石原の満州事変における活躍を見習って、その通りの事を内蒙古に対して実行していると反論した。つまり石原自身も満州侵攻中止の命令を受けていたにも拘わらず、強行したという経歴を持つ。関東軍にしてみれば、軍中央の指示を無視して満州事変を引き起こし、出世した石原の指示などに従えるか、という感情があった。

5)まとめ
今までの説明を纏めると次の様になる。
① 能力と野心のある人にとって、戦争は富と栄誉のチャンスである。
② 資本主義以前の時代は、人が自身の出自運命を変える事が出来たのは戦争のみ。
④ 井上蔵相の「失政」、満州事変の「成功」により民衆は既存のエリートに対する  
    不信感を抱くと共に、軍事エリートに対して信頼を抱くようになった。 
⑤ 井上のデフレ政策失敗は、経済的に成功するという考え方自体を破壊した。
⑥ 明治維新後の民主主義は民衆の力を解放したが、その開放された力は「経済発展」と「戦争」に使われていった。
⑦ 戦争においてその力は当時の帝国主義慣行に従って用いられた。しかし野望は際限のないものになっていった。 
⑧ 昭和恐慌・満州事変を通じ、能力と野心のある人に戦争こそ富と栄誉をつかむ機会という感覚を与えた。但し現実の満州には何もなかったにも拘わらず、その事に気がつかなかった。一方、軍は反対者を弾圧して国民を戦争に引き込んでいった。
⑨ 第二次大戦の敗戦は日本を変えた。日本人の野心は経済的成長の為に使われ、それが戦後日本の高度成長に繋がった。

◎以下質疑応答
  Q:何故このような研究をすることになったのか?
  A:歴史を勉強して昭和恐慌をアカデミックに研究する内に今回のテーマについても関心を持った。
   戦争論については、マルクスは資本家が悪いと論じているが、資本家が欲する物は利益であって戦争ではないはず。資本家が満州に出て行ったのも、戦争が目的ではなく、そこに100万人以上の軍人が駐留していたから。

軍人は日清・日露の戦争でエリートとなったが、その後の産業発展で軍人の社会的地位が下がりコンプレックスを抱く様になった。武装したコンプレックス集団は理性的なコントロールが効かなくなり、戦争に突入した。資本家は単に利益が欲しかっただけのはず。能力と野心のある人が何かを得たいという時に戦争という材料があった。(現代では、ITベンチャー等様々な野心の実現方法があるが・・・・)。
 自由な国では戦争は必ずしも英雄的行為ではないという道徳が存在する。その自由がない国では戦争も正当化されてしまう。従い自由であるというのは素晴しい事であると思う。

Q:2点質問したい。
①財閥・地主の解体は戦争の不当利得ではなく、格差社会の解体であると理解していたが?
②武器商人を容認するようなコメントがあったが、武器を売る「死の商人」は悪であると教わって来た。また戦争は資本家が需要を生み出すために引き起こすという部分もあるのではないか?
A:①戦後、米国の解釈で「日本は一部の者に富が集中しすぎているので、市場が狭い。市場が狭いから外国に市場を求めて戦争を起こしたので、市場を拡大する。」という理屈で財閥を解体した。(おかしな理屈とは思うが・・)
米国は軍人の財産調査もしているはずだが接収はしなかった。例えば東條英機も用賀に800坪の土地を購入しているが、米国の感覚では大した事はないという事で没収されていない。(日本人の感覚から言えば、大した事だと思うが。)   
②武器商人は道徳的でない事はその通り。自ら侵略するよりましだろうという意味。繰り返しだが、資本家は単に利益が欲しいだけで戦争を欲している訳ではない。

Q:歴史を知る事の大切さが良く解った。明治以降の歴史を見ると、1865年の開国 以降、40年単位で動いていると思う。(開国→日清・日露戦争→敗戦→経済大国とほぼ40年単位の大きな変化。)
満州事変から第二次大戦に至った経緯をもう少し詳しく説明願いたい。 
A:満州で軍は止まらなくなってしまい、更に攻め入りついには米国と戦争をするまでになってしまった。もともと日本は米国からくず鉄を輸入して戦車を作る等、米国依存の国であったにも拘わらず、その依存先に盾突いたのだから米国も激怒してしまった。(例えて言えば、上司や取引先に喧嘩を売るようなもの)

Q:法学部で国際法を勉強している学生です。戦争は国家間の事件だが、地域紛争や内戦も国家間のリスクマネージと同様の考え方が出来るのか?
A:戦争は個人の利得から始まる。但し、現実的にはその利得の中味が良く解らないから、イデオロギー・組織も絡んで戦争という結果を引き起こしている。地域紛争も同様だと思う。
例えばイラクの例を見ると、国家に一体感がないが故にもめている。これを分割すれば良いという考え方もあるが、きれいに分割出来ないからもめているというのが現実。イラクの悲劇は「石油」が取れること。石油はその利権さえあれば、農業のように時間をかけてカネを稼がなくとも簡単にカネが出来る。石油の取り合いで紛争になってしまっている。
近衛文麿の理論である「富は略奪である」と考える政治家は世界にいくらでもいる。カリスマ性のある政治家が略奪をしようと国家の枠にとらわれず動き出すと戦争になる。
ではどうしたら良いかという結論は難しい。ぜひ平和の為に勉強して欲しい。
                                以上

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